
Israel Ministry of Foreign Affairs
ラファエル

©Dita Amiel
3日間のセミナーが終わると、わたしたちは気持ちよく別れ、その後も連絡をとりあった。ラファエルはキブツの中心的立場にあって、イスラエル第5世代目のスファラディ(ルーツがスペイン系のユダヤ人)のニラと結婚していた。ニラのおかげですんなりと、イスラエルに、キブツに、新しい文化に馴染めたのだ。彼らには息子がひとりいた。
1988年、わたしは中国ツアーに参加した。同じツアーにラファエルも参加しているのを知ってうれしかった。だが、ラファエルはもはや映画スターのようにも、若きパルチザンのようにも、見えなかった。相変わらず日焼けしていたが、髪には老いがまじり、背が曲がり、頬には深い皺が2本きざまれていた。無口で精彩がなかった。なにひとつ透過しないガラスの鐘に閉じこめられているみたいだった。
滅多とない、素晴らしいツアーだった。中国。知られざる国、素晴らしい自然、新奇な香り。違った種族、神秘的な遠い文化。だが、こうした魔法もラファエルには届かないようだった。見ているようでなにも見ず、耳を傾けているようでなにも聞いていなかった。彼は周囲とつながりを絶って黙していた。
ツアー最後の夕べ、ラファエルとわたしは魅力的な桂林に別れを告げようと散歩に出た。と、いきなり、ラファエルの舌の枷がはずれた。
「君がいろんなことを、われわれふたりにとっても大切なことを書き留めているとわかっているので、これから君が知らないあることを話すつもりだが、ぼくが生きている間はだれにも話さないでくれ。でも、ぼくが死んだら、君の気のすむように書いてくれてかまわない」
「ラフィ、あなたのことだもの、わたしの葬儀で泣くことになるわよ」と、わたしはふざけた。だが、約束した。そして、今日、はじめて彼が話してくれたことを記す。
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